函館朝市の食堂生まれ。

函館朝市の食堂生まれ。

昭和32年、函館の朝市にできた小さな食堂「サザエ」が、サザエ食品のはじまりです。
おはぎは最初、サザエの母さん(創業者 野村とみ)が、従業員や子供のおやつとして作ったもの。
大人のげんこつくらいの大きなおはぎを見たお客さんに「おいしそうだな」と言われ、おすそわけしていました。
試しに市場の中で売ってみるとあっという間に売り切れに。
当時1個10円で、安くて、大きくて、おいしいと大評判。
サザエは食堂から、おはぎのお店になりました。

ずっと手作りのおいしさ。

ずっと手作りのおいしさ。

当時、おはぎは買うものというより、家で作るものでした。

サザエのおはぎは、サザエの母さんの、その母さんの手づくりの味がお手本です。
あんは小豆と砂糖、 塩だけで作り、 毎日毎日2俵のご飯を炊いて、ひとつひとつ手づくりで握ります。
すべて手づくりですから、それこそお彼岸などは体力の続く限り働きました。
そのうちにだんだんと人手をふやし、 きちんとしたかまどや鍋、あんを練る機械なども揃えていきました。

いつのころからか、私たちは自然に「札幌へ出よう」と考えていました。
昭和40年ころから準備を進め、昭和41年には札幌中の島におはぎ屋とレストランをオープンさせたのです。

多くの人に食べてもらいたくて。

多くの人に食べてもらいたくて。

やがて、評判を聞きつけた北海道のデパートから「店を出しませんか」と声がかかるようになりました。
1980年には、北海道内30店、東京には10店を出店しました。
東京で知っていただくのはなかなか難しいことでしたが、じっくりとお店を育てていきました。

北海道の素材にこだわります。

北海道の素材にこだわります。

サザエが使っている材料は、小豆が十勝産、もち米も北海道産。
1987年には、小豆のふる里・十勝の池田町にあんの工場を作りました。
工場ができたことでサザエのおはぎはさらに「十勝おはぎ」になりました。
サザエがいつも大切にしているのは、お客様の声です。
誰だっておはぎには思い出があり、 ふるさとの風景があります。
そんなお客様の声に耳を傾けながら、サザエは今日もおはぎを握ります。